エデンの北から

京都洛北便り 古典文学で日々を楽しむ

 袖に吹け~須磨の秋の浦風

 さぼらずブログを書いている。

四回目の緊急事態宣言が発令されてから、市立図書館は予約図書受け取りのみ、お気に入りの府立植物園は閉鎖、街中は行く気がしないし、他府県の実家、娘達、友人達との行き来も憚られ、無職のわたしは、散歩と読書とくらいしかすることがない。雨が降ったり、暑すぎると散歩もできないこともある。

家事はなるべくさぼる、いや、合理的にする、そして同居人(ひでまる🐱でないほう 人)と分担を原則とする。

もっと掃除などをすればよいのだがする気がおきない。暑い。窓ガラスを拭けばもっと比叡山も空も美しく見えるのだが…

やはり「自由研究」だ。

古典世界の海辺に想いを馳せよう。

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袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふ方より通ふ浦風

そでにふけ さぞなたびねの ゆめもみじ

おもふかたより かよふうらかぜ

    藤原定家 新古今 羇旅980

 

 袖に吹け 浦風よ

  わびしい海のほとりの

 旅の独り寝

 きっとあなたの夢も見ることはできないだろうから

  涙で濡れるわたしの袖に吹け

 恋しいひとのいる都の方から吹いてくる

 浦風よ

 

この歌は源氏物語「須磨」の巻で光源氏が詠んだ歌を本歌としている。

 

源氏は、春、霞たつ頃都を後にして須磨に赴く。政治的立場が危うくなったので先手を打っての自主的な都落ちである。夏が過ぎ、秋がきた。

須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆるといひけん浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。

 (訳)須磨では、ひとしおものを思わせる秋風が吹いて、海は少し遠いけれど、かの行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという浦風に荒れる波が夜ごとにいかにもすぐ近く聞こえてきて、またとなく心に沁みるものは、こういうところの秋なのであった。(訳文 小学館 古典文学全集「源氏物語2」より)

 

源氏は物思いのため寝つかれず、このような歌を詠む

恋わびて泣くねにまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ

こひわびて なくねにまがふ うらなみは

おもふかたより かぜやふくらむ

 

泣く音(ね)は、源氏自身の泣く声、あるいは、源氏をしたって泣く都の恋人、両方解釈があるようだ。 

 

須磨の地では、源氏は他にもいくつか歌を詠み、都に残した人達に送るのだが、そのなかでは、自身を須磨の浦人、海人になぞらえていたりする。そのような歌や文章ははまた後世の歌の題材となっていった。

 

須磨の海人の袖に吹き越す浦風のなるとはすれど手にもたまらず

すまのあまの そでにふきこす うらかぜの

なるとはすれど てにもたまらず

  藤原定家 新古今 恋 1117

 

 須磨の海人の袖を

 吹き抜ける浦風が鳴る

 音はするけれど

 手にもたまらず

 吹いていくばかり

    あのひとに

    なんどもなんども

    手紙を書いた    

 あのひとはわたしに

 慣れ親しむそぶりはみせるが

 わたしのものには

 なってくれない 

    あの 

    浦風のように 

 

 

この歌は、「海辺恋といふことをよめる」という詞書がついている。かいへんの恋、とよむ。

海辺(うみべ)の恋、だと、私などは、沖縄とかハワイとかの海辺での恋という連想をしてしまうが、古典和歌の世界だと、須磨などの海辺の海人(あま)が登場する。いわゆる海女だけでなく、漁師や、製塩に従事する人。働く庶民達であるのだが、都の貴族たちにとっては、珍しく、エキゾチックなものだったのだろう。能「松風」は、在原行平を慕う潮汲みの姉妹の話。「融」に描かれた河原院では、実際の海人がつれてこられて塩焼きをしていたのだろうか。

 海人達の潮汲みの労働の苦しさと厳しさ、そういうものに恋の苦しさを重ね合わせて歌ったものも多い。

 

いずれにしても、古今集以後の和歌には、恋の幸福を高らかに歌うものはあまり見当たらないようだ。

忍ぶ恋、逢えない切なさ、相手の心のわからないもどかしさ、すれ違い、後朝(きぬぎぬ)の辛さ、別れの悲しさ、そういうもので新古今和歌集の恋の部五巻は占められている。